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旧甲州街道をゆく

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に「この休み中にやりたいことは?」と聞かれ、
「日帰りドライブ!」と即答した私
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28日(日)は、ずっとやってみたいと思っていた
幹線道路の旧道をドライブしました。

我が家のドライブ&旅は、景色や空気を楽しむのはもちろんですが、
歴史を訪ねる旅にもなります。


今回は、旧甲州街道をゆきました。


自宅の近くの道・・・
結婚してから桜の紅葉が美しいことを知りました。
この桜並木のある世田谷通りを通り、
調布から旧甲州街道へ入りました。
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調布は新撰組の近藤勇の出身地です。


調布〜日野へ

日野は新撰組の土方歳三の出身地です。
旧甲州街道沿いには、日野宿本陣があります。
立川の飛行場への通り道ということで
空襲を逃れたため、幕末の建物が現存しています。
都内に残る唯一の本陣だそうです。
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↑ここは、大名・天皇陛下がお上がりになった玄関。

本陣とは、江戸時代に街道の宿駅にあった
大名・公家・幕府役人などが宿泊した公的な旅宿のことです。
明治大正になると、天皇家の方々もご休息あそばされているので、
天皇がお休みになった枕とか、御膳とか、日用品なども展示されています。

なんといっても日野宿本陣で興味深いのは、
幕末にこの建物を建てたのが佐藤彦五郎だということなのです!
佐藤彦五郎は、大河ドラマ『新選組!』では
小日向文世さんが演じた役です。
土方歳三のお姉さんの嫁ぎ先です。

さらに驚いたことに、
今、駐車場になっている部分に「佐藤道場」があったそうで、
天然理心流の近藤勇が出稽古に来ていた場所が
ここなのだそうです
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後の新撰組初期メンバーは、ここに集結していたのです
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私は、駐車場を歩き回り、あの頃のことを妄想想像しました。
ただの新撰組オタクなので
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不審な行動をお許しください
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かなり興奮気味の日野宿でした。


日野〜八王子〜小仏峠〜相模湖〜上野原〜大月へ

いつも侍の故郷松本へ行くときに素通りしてしまう
気になるスポットへ立ち寄ることにしました。

大月市にある猿橋です。
日本三大奇橋の一つに数えられる猿橋とは、このような橋でした。
桂川に架かる橋で、両岸が崖になっていて幅が狭いために
橋脚がありません。
橋脚がない場合、吊橋が架けられるのが常なのだそうですが、
江戸時代には、刎橋(はねばし)という技術があったそうです。

そしてこの猿橋は、現存する唯一の刎橋(はねばし)だそうです。

刎橋(はねばし)とは・・・・・(以下、Wikipediaより抜粋)
岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、
中空に突き出させる。その上に同様の刎ね木を突き出し、
下の刎ね木に支えさせる。支えを受けた分、
上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出す。
これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていく。
これを足場に上部構造を組み上げ、板を敷いて橋にする。
猿橋では、斜めに出た刎ね木や横の柱の上に屋根を付けて
雨による腐食から保護した。


だから、橋の下の両側に屋根瓦が付いていたのかぁ
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↑真ん中の写真は、橋の上から南側を見下ろした風景。
 一番下の写真は、北側を見下ろした風景。
 どちらも岩がゴツゴツしていて雄雄しくも神秘的な風景です。


ここで、突然ですが・・・・・

赤城の山も今宵かぎりぃ・・・・・
こーゆーのがあると、絶対素通りできない性分
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↑猿橋にて、国定忠治に変身してみました。

猿橋の袂にある「大黒屋」さんは国定忠治が逗留した場所なのだそうです。

他にも、芭蕉雨情広重も訪れているし、
日立製作所の創業者はここで創業の打ち合わせをしたそうです。

猿橋が初めて架けられたのは7世紀とのこと、
違う時代にさまざまな有名人が訪れている歴史満載のスポットでした。


大月〜勝沼へ

勝沼には見てみたい場所がありました。

柏尾の戦い(甲州勝沼の戦い)古戦場跡。
1868年の戊辰戦争のうちの一つで、
3月に起きた新撰組としての最後の戦いです。
このころ新撰組は甲陽鎮撫隊と名を変えて、
板垣退助率いる新政府軍と戦い、1時間で負けてしまいます。

この戦いは新撰組にとってトホホな戦いなので
あまり触れないことにします。

この地での戦いに思いを馳せて・・・
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この日の最終地点は、勝沼まで。

さて、勝沼といえば・・・
寄らずにはいられない場所がもう一つあったのでした。

                       
                              つづく
by nonkinaahiru4 | 2008-12-30 12:12 | 歴史を訪ねること
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