billsを出た後、海岸通りを西へ走り、
静岡県の手前、湯河原で右折、山の方へ向かいました。
湯河原の海から15分ほど走っただけですが、
海側とまるで違った景色の湯河原。
山と海と両方楽しめる情緒のある街です。
湯河原温泉郷をさらに奥へ進み、
まず私たちが目指したのは・・・・・マニアな場所でした。
重光葵(しげみつまもる)記念館
1945(昭和20)年9月2日、第二次世界大戦の降伏文書に
調印した当時の外務大臣です。
重光さん(
なれなれしい)とは、いろいろな場所でご縁がありました。
まず、侍とハワイへ行った際、
この調印式の行われた米艦ミズーリ号を見学しました。
調印式の行われた場所には囲みがしてあり、
調印された降伏文書の原本と、
調印する杖をついた重光外相の写真を見ました。
また、重光葵は1932(昭和7)年に外交官として
上海事変停戦協定を成功させた直後、
上海で暴漢からの爆弾により右足を失ったのですが、
私が上海へ旅行した際には、この遭難場所へも立ち寄りました。
さらに、日光へ行った際には、
オムライスが美味しい「
明治の館」というカフェへ立ち寄りました。
こちら、もともと明治にアメリカ人の別荘として建てられたものですが、
戦時中、重光葵がこの館に疎開しており、
ミズーリ艦上での降伏文書の調印式にはここから出発されたそうです。。。
と、いくつか重光葵にゆかりの地を訪ねていたこともあり、
湯河原へ行くならば・・・・と是非立ち寄ったのでした。
今まで立ち寄った複数の場所が、
一人の人物に関連していることを知ると、
あとからパズルがどんどん埋まっていくのが
なんとも言えない歴史の醍醐味ですな。
重光葵記念館は、重光葵が足の保養をするために
別荘を建てた場所なのだそう。
ご家族が、この地に記念館を開館されて
氏の遺品を展示されています。
特に印象的だったのは、重光が戦犯として巣鴨プリズンでの刑期を終え、
出所するときに書かれた同じ戦犯たちからの寄せ書き。
などなど、家族だからこそ保管できた遺品の数々を見ることができます。
<つづく>